楽しみ

ワン爺の独り言(2018年4月17日)
「仏道は、苦行が楽に転じる道ではない。仏道は、その歩み自体が楽しみであり、栄えとともに楽(=ニルヴァーナ)が訪れるまるで夢のような道である。」とSRKWブッダは説かれます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana097.htm



(以下引用)

【楽しみ】



聞くだけで安らぐ言葉を知っていて、それを実際に聞くことで心が安らぐ人は素晴らしい。かれは静けさの境地が虚妄ならざるものであることをこころに覚知しつつある。それそのものは一種呪文のようなものに過ぎないが、それを超えて真実を見極めたとき、真の静けさが訪れる。

ニルヴァーナの楽しみは世の最上のものである。しかし、世の楽しみを知らない人がどうして最上の楽しみを覚知できよう。楽しみを知って溺れず、快楽に堕することなく、心が静まることによる楽しみを知った人はついにこの無上の楽しみを体得する。



仏の言葉は気休めではない。仏たちは二心なき真実の言葉を語る。それを聞く人の心が安まったならば、それは聞く耳を持つ人の手柄である。

仏道は、苦行が楽に転じる道ではない。仏道は、その歩み自体が楽しみであり、栄えとともに楽(=ニルヴァーナ)が訪れるまるで夢のような道である。こころから信じ、人と世の真実を明からめたとき、人は自らの因縁によって解脱を果たす。 それが覚りの真実なのである。

(以上引用)



*ワン爺のコメント
今日は二つのポイントについて書きます。

一つは「聞くこと」について。
ダンマパダに次のような三つの偈があります。
100、無益な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている。
101、無益な語句よりなる詩が千もあっても、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。
102、無益に語句よりなる詩を百もとなえるよりも、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。
(以上中村元 訳)
これらは、語る(あっても、となえる)よりも、聞いて心の静まる~を聞く方がすぐれていると言う形式になっています。
以前はなぜ、すべて「聞くほうがすぐれている」と言う形式になっているのか疑問でした。
覚るためには、話すとかその他の行為をするよりも、聞くと言うことが大切なのだと理解するようになって、わかりました。

二つめは、「ニルヴァーナの楽しみは世の最上のものである。しかし、世の楽しみを知らない人がどうして最上の楽しみを覚知できよう。」この言葉は納得です。例えれば、美味しいものを知らない人が最高の美味しさを知ることはできないでしょう。修行も苦しみながら行うものではないでしょう。



この記事へのコメント

toshi
2018年04月17日 10:32
・・・「仏道は、その歩み自体が楽しみであり、栄えとともに楽(=ニルヴァーナ)が訪れるまるで夢のような道である。」・・・自らのこころを省みて、それは間違いのない真理であると素直に言う事が出来ます。・・・ワン爺のコメント「美味しいものを知らない人が最高の美味しさを知ることはできないでしょう。」・・・に座布団一枚です。
てくてく
2018年04月18日 06:58
おはようございます。てくてくと申します。書き込み失礼いたします。

自分が思う楽しみは、一切の争いから降参し、敬いたいです。

それが楽しみです。