女性の解脱(細君の実例)

ワン爺の独り言(2018年4月21日)
「女性が解脱することは難しい。しかしながら、解脱するときには一瞬に解脱する。これは男性だろうが女性だろうが同じに起こるようである。」とSRKWブッダは言われます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana101.htm




(以下引用)

【女性の解脱(細君の実例)】



女性が解脱することは難しい。しかしながら、解脱するときには一瞬に解脱する。これは男性だろうが女性だろうが同じに起こるようである。

2011年7月20日午後、私(SRKWブッダ)の細君が形態(rupa)の解脱を生じた。つまり、識別作用の滅を果たしたということである。彼女は、名称(nama)の解脱つまり心解脱を果たしていないが、いきなり形態(rupa)の解脱を果たしたことになる。



これは女性特有の解脱というわけではないだろう。と言うのは、釈尊の言葉に次のものがあるからである。@

『内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このように気をつけて行っている人、の識別作用が止滅するのである。(スッタニパータ)』



細君がどのような経緯で形態(rupa)の解脱を生じたのか知りたい人もあるかと思うので、ここにその概要を記しておきたい。

細君は、2ヶ月ほど前、私の二番弟子が心解脱(名称(nama)の解脱)を達成したことを聞いた。細君は、もちろん二番弟子と面識があり、あの彼がついに心解脱したのだと思ったそうだ。そして、次のようにも思ったという。『彼が心解脱したのだから、私もちょっとやってみようかなぁ』そのように思ったが、SRKWブッダの説く理法は難しくて歯が立たない。仕方が無いので公案に取り組んだ。そして、なんとか「苦い薬の(準)公案」だけは解いた。次いで、細君は六祖壇経が読みたくなったそうだ。しかし、我が家にあった六祖壇経は或る人に贈呈してしまっていて家にはもう無かった。 どうしようかと思案しているところに、その六祖壇経が届けられた。差し上げていた人が、自分には不要だからと送り返して来たのだ。これ幸いと、細君は六祖壇経を読み始めた。読んでもちんぷんかんぷんだったようだが、それでも寝る前に15分ほど読む日々が続いた。何のことはない、読んで眠くなったらそのまま寝入ってしまうのだ。ところが、そんなことを続けていたある日、昼寝していたら不意に涼しい風が吹いてきたそうだ。その瞬間に気持ちがカラリと晴れて、自宅前を通過する新幹線の音が気にならなくなったと言う。また、臭いに敏感な質だったのが、臭いにまったく翻弄されなくなったとも言う。それが7月20日のことだ。そして、そのことを私に打ち明けたのは次の日の朝だった。音や臭いのことが気のせいでないかどうか、自分なりに確認したかったのだろう。それでもやはり新幹線の音が気にならないので、昨日から急に音が気にならなくなったのだと私に打ち明けた。細君は、不思議だが気持ちが本当に軽くなったと言う。胸の中にあったなにか淀んだものが昨日を境に皆無くなったのだと言う。私は、細君からいくつかのことを聞き出し、どうやら形態(rupa)の解脱つまり識別作用の滅を果たしていることを確信した。

細君が行った修行は、一言で言えば「六祖壇経をただ無心に読むだけ」である。経典の内容を頭で理解する必要もない。ただ、慧能が誰もが覚れると繰り返し語るので、自分も覚れるのではないかとふとその気になったそうだ。そして、結果的にそれがまさしく覚りの修行となったと考えられる。もちろん、それだけでなく解脱する直前に自分の人生についてある決心をしたそうだ。それが覚悟となって解脱に結びついたようである。

覚りの道は、すべて結果論である。解脱を生じれば、それまでのそれが修行だったのである。細君は言う。『ただ寝転びながら六祖壇経を読めば、ある日突然に涼しい風が吹いて覚れる』と。

覚りの機縁・因縁は摩訶不思議なものである。私の二番弟子のことが機縁となり、それが六祖壇経を魔法のように呼び寄せ、呼び寄せた経典を寝転がって読むだけで覚りの因縁を生じる。解脱が起こってしまえば、それでよいのである。細君の例を考えれば、修行を堅苦しく考えるのは間違いだと分かるであろう。こころある人は、自らの機縁によって道を見い出し、因縁を生じて解脱せよ。

[参考]
 → 理法263: 仏弟子は迷いなく究極に至る
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou263.htm


(以上引用)



*ワン爺のコメント
この感興句は覚り(解脱)に関して幾つかの興味ある重要な事柄が述べられています。

まず、女性も解脱できると言うこと。

ブッダの奥さんが解脱したこと。

その奥さんは、普通の奥さんでブッダの二番弟子が心解脱をしたことがきっかけで、自分もやってみようと思い立って、いわゆる猛烈な修行をしたわけではなく、解脱したこと。(私はこのことに関して、彼女はブッダのそばでブッダの世話を10年続けていたことが功徳になっていたのだと思います。)

三種類の解脱について
心解脱:名称(nama)の解脱
身解脱:形態(rupa)の解脱(識別作用の滅)
慧解脱:名称(nama)と形態(rupa)の解脱
ブッダの奥さんの解脱は身解脱だそうです。
身解脱については、これまでほとんど語られていなかったと思います。

これからは私見です。テーラワーダ仏教で語られている不還果者は心解脱者、阿羅漢と言われている方々のほとんどは慧解脱者でなく身解脱者だろうと思います。慧解脱者はゴータマ・ブッダとサーリプッタ尊者と何人かだと思います。辟支仏(独覚)は身解脱者だと思います。

この感興句は詳しく読めば、他にも重要な事柄が述べられています。
参考の理法263「仏弟子は迷いなく究極に至る」も是非お読みください。


この記事へのコメント

toshi
2018年04月21日 08:24
 何より「功徳」が大事です。・・・過去のSRKWブッダのツイログに参考になる教えがありました。・・・「正しく求め、正しく歩めばニルヴァーナに到達する。ただし、そのためには同時に功徳を積まなければならない。しかも、功徳はこころに積むものであって、いかなる行為も──たとえそれが布施・供養であっても──直接に功徳になることはない。この機微が難しい。」(2015.12.27)・・・「功徳はこころに積むもの・・・」というところがポイントです。