御すること

ワン爺の独り言(2018年4月28日)
「車を御す人は労なく荷物を目的地まで運び、煩悩の火を吹き消す人は静けさに到達する。」とSRKWブッダは説かれます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana108.htm



(以下引用)

【御すること】



人々(衆生)にとって、末那識は重荷のようなものであり、阿頼耶識は劫火の如くである。

不用意に近づき触れるならば、押しつぶされ、あるいは焼き尽くされてしまうだろう。

そこで御することが称えられる。

車を御す人は労なく荷物を目的地まで運び、煩悩の火を吹き消す人は静けさに到達する。



名称と形態(nama-rupa)とを滅ぼしたならば、円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)に住することができる。

(以上引用)

*ワン爺のコメント
昨日引用した感興句「煩悩」では、「煩悩とは、本能にもとづく心の動揺である。」と定義されていました。改でこれは読み返すと、これは凄い言葉です。本当に解った方にしか言えない言葉だと思います。
今日の「人々(衆生)にとって、末那識は重荷のようなものであり、阿頼耶識は劫火の如くである。」も凄い言葉です。そうなのだと知るべきです。

末那識と阿頼耶識については、SRKWブッダの理法「名称と形態(nama-rupa:名色」)」で解説されています。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou006.htm

その補足説明を引用しておきます。
(以下引用)
[補足説明]
唯識でいう「末那識(まなしき)」は名称(nama)作用を呼び起こす根元であり、「阿頼耶識(あらやしき)」は形態(rupa)作用を呼び起こす根元であると考えてよいでしょう。 これらの二つの識を超えた真実の識として、唯識では「阿摩羅識(あまらしき)」を立て、それに至り住することが解脱であるとしています。

[補足説明(2)]
いわゆる煩悩の正体を指して「客塵」と言うのは、集合的無意識宛に他の人々から日々送られてくる人類共通の業(カルマ)の様子を示しています。 このどこからともなくやって来て塵のように降り積もる業が、人類共通の精神的遺産として受け継がれたものの総体が、すなわち形態(rupa)であるからです。
(以上引用)


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