法界の存在の確かさ

ワン爺の独り言(2018年5月14日)
「法の句(善知識)は、不可思議なものである。これが明らかにこの世(世俗)のものでは無いゆえに、法界の存在が確かとなる。」とSRKWブッダは説かれます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana125.htm



(以下引用)

【法界の存在の確かさ】

法の句(善知識)は、不可思議なものである。これが明らかにこの世(世俗)のものでは無いゆえに、法界の存在が確かとなる。



法界の存在を如実に知った人は、死して後、もうこの苦悩の世には戻っては来ない。人は、このように輪廻を超えるのである。

(以上引用)


*ワン爺のコメント
「法の句(善知識)は、不可思議なものである。これが明らかにこの世(世俗)のものでは無いゆえに、法界の存在が確かとなる。」と説かれていますが、問題はその言葉がこの世のものではないかとわかるかどうかです。

ではその句がこの世のものでないかどうかをどのように知るのか? もちろん句自体は普通の言葉でできていますから、この世のものですが、その句の意味することが、知らなかった知識ではなく、発想の転換をもたらすもの、自分の価値観を壊すものであった場合はこの世のものでない場合があります。学識が乏しいうちは、その言葉の意味するものがこの世の知恵である場合も多いのですが、学識が豊かになるに従って、本当にその言葉が本当にこの世のもの世のものでないことを発見します。

学識についてはSRKWブッダの理法「学識」および「知識を超えて知られるそれ」を参照して下さい。アドレスは次の通りです。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou080.htm
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou080_sub.htm

さて、ここでこの世のものでないのであれば、どの世のものなのでしょうか?
それをどのように名付けても良いと思いますが、法の句の来る世、すなわち法界なのです。

最後に、ゴータマ・ブッダの最初の説法と言われている「(初)転法輪経」の言葉を引用します。
(以下引用)
「比丘たちよ、『これが苦の聖なる真理である』と以前には聞いたことのない諸法において私の(智慧の)が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。」
(以上引用):ウ・ウェープッラ著「南方仏教基本聖典」より。
ここで述べられている「以前には聞いたことのない諸法」これこそが法の句なのです。なお、この言葉はこの経の中で繰り返し述べられている言葉です。


この記事へのコメント

Satya
2018年05月15日 12:33
昨日の「愚か者」に関する書き込み、そして今日の「初転法輪経」の引用をノートに書き写しました。これからも繰り返し眺め続けることになるでしょう。

毎日、このブログを読むことがワタシの楽しみです。