信仰のある人

ワン爺の独り言(2018年5月19日)
「ことの真相を、実体験としては知らぬ身でありながら、見事に説かれた理法の言葉を聞いて、推して、理解し、正しい見解にたどり着く人を、賢者と呼ばずに誰を賢者と言うべきであろうか。」とSRKWブッダは説かれます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana129.htm



(以下引用)

【信仰のある人】



ことの真相を、実体験としては知らぬ身でありながら、見事に説かれた理法の言葉を聞いて、推して、理解し、正しい見解にたどり着く人を、賢者と呼ばずに誰を賢者と言うべきであろうか。

かれを、信仰のある人とも呼ぶ。

(以上引用)



*ワン爺のコメント
SRKWブッダの理法には「この世において最も不可思議なこと」および「二番目に不可思議なこと」という項目がありますが、私は今回の感興句で述べられていること、すなわち。ことの真相を、実体験としては知らぬ身でありながら、見事に説かれた理法の言葉を聞いて、推して、理解し、正しい見解にたどり着く人がいるということは「「三番目に不思議なこと」ではないかと思います。

(以下引用)
【この世において最も不可思議なこと】http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou075.htm


衆生は、『心』と称するものによって欲望を起こし、執著を生じて、種々さまざまな苦悩をその身に受けている存在である。



しかしながら、驚くべきことに、人はその『心』と称するものによってその同じ『心』を滅し、一切の苦悩から解脱するのである。したがって、人が『心』と称するものを有する限り、覚りの境地に至り得ることは保証されていると言えよう。

そして、実にこれこそがこの世において最も不可思議なことである。

こころある人は、世にも不可思議なこの事実によって解脱を生じ、不滅のやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと到達せよ。



【二番目に不可思議なこと】http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou075_sub.htm


この世において二番目に不可思議なことは、人々が未だ覚りの境地について覚知していないにも関わらず〈聖求〉を起こすということである。

人は、世にも不可思議なこの第二の事実によってこの一なる道を見い出し、歩み行きて、ついにこの不滅のやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと至るのである。

(以上引用)



この記事へのコメント

toshi
2018年05月19日 10:58
 人間という「生き物」は、自ら「苦しみを生み出して」おきながら、きちんとその「苦しみを解く(解脱する)」という能力を備えている・・・というところが、全く「不可思議」です・・・。