ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ)第3章 愛執 第4偈

4 恣(ほしいまま)のふるまいをする人には、愛執が蔓草のようにはびこる。林のなかで猿が果実を探し求めるように、かれは(この世からかの世へと)あちこちにさまよう。
(ダンマパダ334参照)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*ワン爺のコメント
ほしいままのふるまいをする人とは、わがままな行いをする人です。そのような人とはなんでも自分のものと思うのです。それを愛執というのです。愛執は執著の一つであり、この執著が生きる苦しみの原因になるのです。

そしてこの執著が生きていたいという思いを作り、苦しみの輪廻のもとになるのです。この感興句の後半の「かれは(この世からかの世へと)あちこちにさまよう。」は輪廻を繰り返すということです。

参考:ダンマパダ334 恣(ほしいまま)のふるまいをする人には愛執が蔓草のようにはびこる。林のなかで猿が果実(このみ)を探し求めるように、かれは(この世からかの世へと)あちこちにさまよう。(中村元訳)

私は過去にこの偈について、以下のアドレスのブログ記事で解説しました。しかし、今の考え方は違っていますので、興味ある方は参考にして下さい。
http://76263383.at.webry.info/201006/article_28.html

訳語の違いは、「恣(ほしいまま)のふるまい」は「放逸な行い(気づきのない行い)」、「愛執」は「渇愛」と訳されている点です。

渇愛については、以前の私の解説では、渇愛は外部刺激によって起きるように書いてありますが、渇愛(タンハー)の本来の意味は妄執なのです。SRKWブッダの表現では、妄執とは形態(ルーパ)に基づく混乱です。ちなみに迷妄は名称(ナーマ)に基づく混乱です。

ついでに言葉の解説をすると、執著には二種類あり、愛執(我ものという思い)と、我執(我あり:私が一番)という思いです。

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