ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ)第3章 愛執 第15偈

15 実に愛執が原因であり、執著は(それに縁って)流れる川である。この世では(欲の)網が茎をつねに覆うている。蔓草である「食幾」(=食偏に幾)えを全く除去したならば、この苦しみはくり返し退く。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*ワン爺のコメント
「食幾」を一字として表示できませんでしたが、これは食偏に作りは幾という一字の漢字です。読みは「うえ」。穀物が実らない、凶作、食物が不足するという意味です。

愛執が原因で執著があるという事です。茎とは愛執の比喩であり、網とは執著の比喩だと思います。つまり愛執の茎に執著の網が巻き付いているのです。

「蔓草である「食幾」(=食偏に幾)えを全く除去したならば、・・・」は分かりにくいのですが、蔓草の食物である愛執がなくなれば、執著もなくなり、輪廻を繰り返すことがないと述べているのだと思います。

この記事へのコメント

SRKWブッダ
2018年07月28日 09:30
食料についての説明は、原始仏典=スッタニパータの次の箇所が参考になるでしょう。(以下引用、一部追記)

 「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。 どうしてであるか? 『およそ苦しみが生ずるのは、すべて食料に縁って起こるのである。』というのが、一つの観察[法]である。『しかしながら諸々の食料が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。 このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。──すなわち現世における<さとり>か、或いは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」──

 師(ブッダ)はこのように告げられた。 そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。

747 およそ苦しみが起こるのは、すべて食料を縁として起こる。 諸々の食料〈についての飢渇〉が消滅するならば、もはや苦しみの生ずることもない。〈けだし、飢えは最大の病いであるからである。〉

748 「苦しみは食料の縁から起こる」と、この禍いを知って、一切の食料〈についての満足と不満足が生じる要因〉を熟知して、一切の食料にたよらない〈旨い不味いや特定の食料種にこだわらない〉。

749 諸々の煩悩の汚れの消滅の故に無病の起こることを正しく知って、省察して(食料を)受用し、理法に住するヴェーダの達人は、もはや(迷いの生存者のうちに)数えられることがない。

747,748:〈〉内の文章は、SRKWブッダが追記。