ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ)第3章 愛執 第18偈

18 愛執は苦しみの起こる根源であるとこの危ない患らいを知って、愛欲を離れ、執著して取ることなく、修行僧は気をつけながら遍歴すべきである。
                                                                                                                    以上第3章 愛 執

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*ワン爺のコメント
この第18偈は第3章の最後の偈になります。そこで、これはこの章のまとめです。

愛執、我がものという思いは苦しみの起こる根源であるとを知るべきである、
愛執は愛欲から起こるので、愛欲から離れるべきである、
愛執は執著であるので、執著をなくすべきである、
そして修行者は気をつけながら遍歴すべきであるとまとめられています。

「遍歴」については、SRKWブッダの次のアドレスの理法で述べられていますから、それを引用します。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou265.htm

(以下引用)
【遍歴】

人を覚らせる智慧(=仏智)はそれぞれがまったくユニークなものである。それゆえに、ある智慧が別の智慧を理解するための参考になるという性質のものではない。それどころか、すでに世に出現した智慧を事細かに解説することは智慧によって覚ろうとする人々の邪魔以外の何ものでもない。そのことを知って、もろもろの如来は智慧そのものについて語ることはないのである。つまり智慧は自ら見い出さなくてはならないものである。



では人は具体的にどのようにして智慧を見い出すのであろうか。それは遍歴するうちに覚りに向けたこころが培われて、縁有って目の前に出現した智慧(=善知識)を見たときにそれが智慧であると理解することを得、そのようにして見い出した智慧によってまさしく覚るのである。



気をつけて世を遍歴する人はついに智慧を見い出して解脱する──これが実際に起こることである。



遍歴の期間は人それぞれである。一瞬に覚る人もあれば、長い時間をかけてついに覚る人もある。たとえば知恵の輪を一瞬に解く人もあれば、長い時間をかけてついに解く人があるようなものである。

それでも遍歴の期間を少しでも短くしたいと希望する人は、次のことに留意するとよい。


・ 理法について語らう場を持つこと
・ 何を為し、何を為さなかったかについて省察すること

・ 仏教にまつわることがらに触れること

・ 予め抱く一切の断定を捨て、固執の想いを離れて、毎日を新鮮な気持ちで過ごすこと

・ 自分よりも弱い人の言動を恕(じょ)すこと
・ 聞く耳を持つこと
・ (可能な人は)如来に問うこと
(以上引用)

さらに、遍歴について知りたい方は理法「遍歴の実際」を参照して下さい。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou273.htm

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