ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ)第4章 はげみ 第12偈

12 放逸(なおざり)に耽るな。愛欲と歓楽に親しむな。おこたることなく思念をこらす者は、不動の楽しみを得る。

(ダンマパダ27 放逸に耽るな。愛欲と歓楽に親しむな。おこたることなく思念をこらす者は、不動の楽しみを得る。) 

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*ワン爺のコメント
この偈の訳者の中村先生は、放逸に「なおざり」という読みをつけておられますので、「なおざり」という言葉に注目しました。

「なおざり」によく似た言葉として「おざなり」という言葉があります。その違いは次のような解説がありました。

現代語として考えた場合、両方に共通している部分は、「いい加減な対応だ」ということです。そして異なるのは、「おざなり」は「いい加減ではあるにせよ、何らかの対応をする」のに対して、「なおざり」は「多くの場合、何の対応もしない」という点にある、と言うことができます。

ところで、SRKWブッダは「なおざり」を次のように使われておられます。
(以下引用)
自分はいい線を行っていると思っている間はとても覚ることはできない。まして自分の人生に満足している者が覚りを目指す筈もない。それでも覚っていない者は死を前にして泣く。なすべきことをなさず、なおざりにした自分自身を知って泣くのである。

もろもろの如来は、ただ漫然としているだけでは覚ることは無いと説く。徳行に篤く精励し、功徳を積んだ人だけが、覚りの機縁と因縁とを生じてついに覚るのである。為すべきことをなおざりにしておきながら覚りを望んでも、それを叶えることはとてもできない。修行者は、精進せよ。

愚者は、出来るときに為すべきことをせず、なおざりにする。賢者は、出来るときに為すべきことを為し、栄えと楽しみと大いなる宝を手に入れる。行き着く処は正反対であるが、違いは出来るときに為すべきことを為したかどうかなのである。
(以上引用)

「愛欲と歓楽に親しむな。」について。愛欲については、第2章で繰り返し学びました。歓楽は衆生を真実から目を背けさせる悪魔の罠だと言われて言われています。注意すべきです。

「思念をこらす者」とは、中村先生の注では、「禅定に入っている者」とされています。瞑想をする者という意味でしょうが、瞑想については昨日述べましたようにいろいろありますから、これも注意深く行ってください。

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