ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ)第6章 戒しめ 5偈

5 明らかな知慧があり、戒しめをたもつ人は福徳をつくり、ものをわかちあって、この世でもかの世でも、安楽を達成する。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*ワン爺のコメント
ダンマパダの中では「明らかな知慧」に言及している偈は多数あります。例えば277、278、279、280偈などですが、ここでは次の2偈を引用します。

ダンマパダ372 明らかな知慧の無い人には精神の安定統一が無い。精神の安定統一の無い人には明らかな知慧がない。精神の安定統一と明らかな知慧とがそなわっている人こそ、すでにニルヴァーナの近くにいる。

ダンマパダ375 これは、この世において明らかな知慧のある修行僧の初めのつとめである。__感官に気をくばり、満足し、戒律をつつしみ行い、怠らないで、浄らかに生きる善い友とつき合え。

ちなみに、SRKWブッダは、理法「明知」で次のように述べておられます。この「明知」は「明らかな知慧」の意味であると思います。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou114.htm

(以下引用)
【明知】

世において知るべきことを知るべきことであるとこころに知り、知るべきでないことを知るべきでないことであるとこころに知っている人。かれが明知の人である。かれは、ことに臨んで、見えないものを見てその真実のすがたを捉え、また聞こえない声を聞いてその真実の意味を知るのである。

明知は、学んで身につけるものでは無い。明知は、努力によって獲得するものでも無い。かといって、明知は、いわゆる素質と言うべきものにはあたらないものである。ただ明知は、それがあるときにかれにはそれがあるのだと確かに認められる「それ」に他ならず、その由来を過去・現在・未来に亘るかれ自身にも、また本人以外の何ものにも求めることはできない。それゆえに、明知は<明知>と名づけられるのである。

人は、明知によって道を見いだし、ついに究極の境地(=ニルヴァーナ)に至る。それゆえに、やすらぎを求める人は、自分ならざる何ものにも依拠することなく、ただ自らに依拠して、よく気をつけて世を遍歴すべきである。こころある人は、他ならぬ自らが自分自身の明知を信じ、自らの道のあゆみを浄くせよ。

人がまさしくこのようにして覚りの境地に至ったとき、かれは<明知>の真実について理解することになるのである。
(以上引用)



 
 
 

この記事へのコメント

てくてく
2018年09月22日 12:03
こんにちは。
てくてくと申します。
書き込み失礼いたします。

『ものをわかちあって』と、説かれましたことばに『明らかな智慧があり』を思いました。
自分自身も『ものをわかちあって』行きたいです。