ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ)第6章 戒しめ 10偈

10 かれは束縛の絆(きずな)が消え失せて、慢心もなくなり、煩悩のさまたげもなく、身体が壊(やぶ)れて死んだあとでも明らかな知慧をたもち、ときほごされて、(迷える人の)部類に入らない。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*ワン爺のコメント
束縛とは、SRKWブッダは次のように言われています。
「人々(衆生)は、無理矢理何かに縛られているのではない。人々は、それが甘美で魅惑的なものに見えるのでそれについて縛られているのである。ただし、それはしあわせに結びつかないので〈道の人〉はそれを束縛と呼ぶ。」と。

慢心については、
「勝利宣言をすること、美貌をひけらかすこと、才能を誇ること、財多きことで慢心に陥ることなどが、すべて苦に結びつく。こころある人は、つつましくあれ。つつましさによって、自分自身にうち勝て。得難き勝利は、そのようにしてこそもたらされるのである。」と。

また、煩悩については、次のように述べられているように、煩悩の見極めるのは難しい。それができれば、煩悩のさまたげはなくなるでしょう。

「煩悩とは、『本能にもとづく心の動揺』を言う。このことを完全に理解しているのは心解脱した長老だけである。 公案の核心部分はこのことに関係している。どうしてもいけなければどうするかに高まったとき、それが最後の一関となる。」

「ときほぐされて」については、中村元先生の注で「一般に『ニルヴァーナに達した』の意に解されている。」と記されています。


この記事へのコメント

Mason
2018年09月25日 21:09
仏教は煩悩を解脱すること。この「解け(ほどけ)」が転じて「ほとけ」となった
(語源由来辞典)