ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第8章 ことば 4偈、5偈

4 この世で賭博に負けて財を失う人でも、その不運は僅かなものである。しかしこの世で完全に達した人々(聖者たち)に対して悪意をいだく人の罪(不運)は、まことに重いのである。

(スッタニパータ659 賭博で財を失う人は たとい自身を含めて一切を失うとも、その不運はわずかなものである。しかし立派な聖者に対して悪意をいだく人の受ける不運は、まことに重いのである。

5 悪口をいい、また悪意をいだいて聖者を毀る者は、十万のニラルブダ地獄と三十六と五千のアルブダ地獄とにおもむく。

(スッタニパータ660 悪口を言いまた悪意を起して聖者をそしる者は、十万と三十六のニラッブダの(巨大な年数の間)また五つのアッブダの(巨大な年数のあいだ)地獄とに赴く。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*ワン爺のコメント
スッタニパータ659、660について、以前次のアドレスのブログ記事で解説しました。
https://76263383.at.webry.info/201410/article_29.html
サイコロ賭博で不利な目が出て、賭けに負け、全財産を失ってもあるいはその結果、自殺することになっても、その程度の不運は大したことない。小さなことだとこの偈は述べているのです。

なぜでしょうか?それは660偈で述べているのです。立派な聖者を非難すると地獄に落ちるからです。地獄に落ちて、そこに留まる期間は、10万36ニラッブダと5アップダ年だと述べられています。1ニラッブダは10の43乗x2であり、1アップダは10の42乗と言われていますから、地獄にいる期間は無限と言ってもいいのです。その期間地獄の苦しみが続くからです。なお、ウダーナヴァルガとスッタニパータの数の表記の違いは、前者がサンスクリット語であり、後者はパーリ語によるものであります。

幸い、この記事には、SRKWブッダのコメントを頂いております。
(以下引用)
衆生は、「自分は地獄に堕ちることはないだろう」と楽観しているが、実際には地獄に堕ちてもおかしくない者を散見する。多くの衆生は、愚かだからである。愚者は、為してはならぬことを為しては、火に触れたように苦しむ。
しかしながら、それよりもさらに愚かなことがある。それは、「自分は覚ることはできないだろう」とか「覚りなど存在しない」と考える者である。このような者は知らずに悪行を犯すが、自分では良い線を行っていると思っているので、笑いながら深い地獄へと堕ちていくことになる。***
(以上引用)


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