ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第12章 道 9偈、10偈

9 棘(とげ)が肉に刺さったのを知って、わたくしは汝らにこの道を説いたのだ。汝らは(みずから)なすべきである。諸の完成者(如来)は(ただ)教えを説くだけである。

10 愛執の矢が肉に刺さったので、わたくしは汝らにこの道を説いたのだ。汝らは(みずから)なすべきである。けだし諸の完成者(如来)はただ道を示しただけである。


(ダンマパダ275 汝らがこの道を行くならば、苦しみをなくすことができるであろう。棘(とげ)肉に刺さったので)矢を抜いて癒す方法を知って、わたくしは汝らにこの道を説いたのだ。)

(ダンマパダ276 汝らは(みずから)つとめよ。もろもろの如来(=修行完成者)は(ただ)教えを説くだけである。心をおさめて、この道を歩む者どもは、悪魔の束縛から脱れるであろう。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*ワン爺のコメント
9偈の「棘(とげ)が肉に刺さったのを知って」は、ダンマパダ275の「棘(とげ)肉に刺さったので)矢を抜いて癒す方法を知って」という意味です。

また、「棘(とげ)とは、10偈の「愛執の矢」の事です。すなわち、「矢」とは愛執の事なのです。
愛執は我執とセットで語られることが多いので、それについてSRKWブッダが説明している言葉を引用します。

(以下引用)
他ならぬ自分が覚れる(やさしい人になれる)と言うことをこころから信じることが発心である。我執(我ありという思い)と愛執(我がものという思い)とを捨て去る努力が、修行の本体である。真実のすがたを見た人が、ついに解脱する。衆生のすがたは本当に悲惨だと知るからである。
(以上引用)

話は変わりますが、以前私は「生きとしいけるものが幸せでありますように」とよく唱えていましたが、次のようなSRKWブッダの言葉も発見しました。
(以下引用)
また、他の不幸な人がしあわせになるのを願うことよりもすぐれているのは、他人を不幸に陥れないことである。他人を不幸に陥れないとは、我執(我ありという思い)と愛執(我がものという思い)とを捨て去ることである。それによって自分を超えることができるのである。
(以上引用)



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