ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第13章 尊敬 3偈

3 善くない人々は、利益を得ようと願い、修行僧らのあいだでは尊敬を得ようとし、僧房にあっては物惜しみの気持を得ようとし、他人の家に行っては供養を得ようとする。

(ダンマパダ73 愚かな者は、実にそぐわぬ虚しい尊敬を得ようと願うであろう。修行僧らのあいだでは上位を得ようとし、僧房にあっては権勢を得ようとし、他人の家に行っては供養を得ようと願うであろう。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*ワン爺のコメント
明けましておめでとうございます。
今年も、ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ)の解説を続けて、行きます。
よろしく、お願いいたします。

さて、この偈によく似ている偈がダンマパダにありますが、その偈については過去に2回解説を書きました。
https://76263383.at.webry.info/200912/article_24.html
https://76263383.at.webry.info/200902/article_20.html

「善くない人々」とは、ダンマパダでは「愚かな者」となっています。どちらも同じ意味ですが、これは人ごとではありません。覚ってない衆生にとっては、いつもこのような状態にあることを自覚しておいた方が良いのです。

どうでしょうか? 私たちは、尊敬されることを望んでいないと考えていても、少なくとも、人から認めてもらいたいという気持ちを持っていると思います。深く考察すれば、できれば尊敬されたいと思っているのではないかと思います。それは幼い子供の頃から続いています。初めはお母さんから認めてもらいたいと思い、次は先生や友達から認めてもらいたいと思ってきたはずです。

この辺の事情については、以前の解説で書きました。

しかし、ユングの人間の勉強をすると、この傾向は外向的性格の人には強く、内向的性格の人は弱いとは言えますが、強い弱いの差はあっても、一般的なこのような傾向はあると言えます。

「僧房にあっては物惜しみの気持を得ようとし」の意味はわかり難いかもしれませんが、自分の持ち物を他人に使わせないという意味です。アビダルマではこれは、欲ではなく、怒りに分類されています。
「他人の家に行っては供養を得ようとする。」とは、お布施を多くもらおうとする欲です。



この記事へのコメント

MK
2019年01月01日 08:25
あけましておめでとうございます!
今年も付いて行かせて頂きます。よろしくお願いします!
もみじ
2019年01月01日 11:25
明けましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。
zuisyou
2019年01月01日 20:35
ワンギーサ様、あけましておめでとうございます。今年も拝見させて頂きます。宜しくお願いします。