感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第15章 念(おも)いをおちつけて 14偈

14 ガウタマの弟子たちは、よく覚醒していて、かれらは昼も夜もつねに衆(サンガ、修行者のつどい)を念じている。

(ダンマパダ298 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常にサンガ(修行者のつどい)を念じている。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント
「衆(サンガ、修行者のつどい)を念じている。」とはどういうことか書いてみます。

まず、先日(2月5日)に引用したSRKWブッダの「 僧(サンガ)」に関する文章を復習の為に再度引用します。

(以下引用)
僧とは、サンガ(僧伽)の漢訳である。では、僧はなぜ三宝の一であると言われるのであろ うか。それを説明したい。
僧(サンガ)を現代的に表現すれば、次のようになる。
『僧とは、清き集いという意味である。清いと言われるのは、衣食住を貪らず、覚りさえも 貪らないゆえにそう呼ばれるのである。彼らは塵を撒き散らすことがない。』

さて、僧が宝であると言われるのは次の特徴があるからである。

・ 僧は、争いが起きることがなく楽しい。僧は、この世におけるニルヴァーナの一つの具現 であると見ることができる。僧は、人々にニルヴァーナの実在を証する根拠の一つとなるもので ある。それで、僧は宝であると言われる。

・ 僧は、すべての人が皆同じものを目指している。真理以外のものを目指している者は一人 もいない。それで、僧は宝であると言われる。

・ 僧は、互いにすべて明らかであって隠し事がない。示し合って何かを画策することもない 。それで、僧は宝であると言われる。

ただし、もちろん、僧(サンガ)にこれらの特徴が見られなくなったならば、それはすでに僧では無くなっていると知らねばならない。すなわち、三宝という言葉は、僧という集団を無条件に擁護する言葉ではないのは当然のことである。
(以上引用)

以上の文章の中で、特に「僧は、争いが起きることがなく楽しい。僧は、この世におけるニルヴァーナの一つの具現 であると見ることができる。」は、「衆(サンガ、修行者のつどい)を念じる」に関して重要なところであります。ニルヴァーナを言葉で表現することは難しいのですが、衆(サンガ、修行者のつどい)はそれをイメージする助けになります。

ですから、争いがあり、楽しくない修行者のつどいはサンガとは言えません。


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