感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第16章 さまざまなこと 19偈

19 田畑の汚れは雑草であり、この人々の汚れはおごり高ぶりである。それ故に、おごり高ぶりを離れた人々に供養して与えるならば、大いなる果報をもたらす。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント
岩波文庫の注には、「おごり高ぶり___māna.」と記されています。それには「慢、慢心、驕慢」などの訳語がありますが、基本的な意味は、自分と他人を比較することです。その際、三つの場合があります。高慢、同等慢、卑下慢です。

高慢は、自分は相手より上位である思うことで優越感に浸ることです。一方で自分が相手より下位になることを恐れているのです。同等慢は自分は相手と同じだと思い安心するのです。卑下慢は、自分は相手より下位だと思うことで卑屈になります。あるいは内心で自分は謙虚だと自慢している場合もあります。比較するという心の作用は無意識に行っていますので、なかなか自覚できず、やめるのが難しいのです。

しかし、自分と他人を比較することで、自分と相手の間に、上・下あるいは同等ということがあるのでしょうか。一人一人の人間は決して同じ人はいないのです。一人一人それぞれ別の個性を持った別の人間なのです。心は比較できないものを、比較して、虚構を作り、悩み苦しむのです。

おごり高ぶりを離れた人々は、自分と相手を比較することはありません。ですから、比較して、虚構を作り、悩み苦しむことはありません。

もう一つ付け加えて言えば、おごり高ぶりを離れた人々は「人は実はやさしい」と確信しているのです。



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