感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第16章 さまざまなこと 22偈

22 第六の機能(=五官につづく心)が、支配者である王である。それが欲情に染まっているときには欲情のままになり、染まっていないときには「汚れを離れた者」となるが、染まっている時には「凡夫」とよばれる。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント
第六の機能は、訳者がカッコ内で「五官につづく心」と説明されています。すなわち、それは眼、耳、鼻、舌、身につづく意であります。意が支配者である王であるのです。

眼、耳、鼻、舌、身は身体の感覚器官ですが、意は心の感覚器官なのです。眼、耳、鼻、舌、身で感じた感覚は意と結びついて認識されるのです。そのために、意が支配者である王であるというのです。
例えば、見たいという意欲がなくなれば、見れども見えずという現象が起こります。耳、鼻なども同様です。その意味で意の働きが重要なのです。この意が欲情によって汚れていれば、認識は欲情に汚れます。欲情に汚れていなければ、認識は欲情に汚れません。

意の汚れの基本は名称作用(余韻作用)と形態作用(変換・増幅作用)です。意がこれらの作用で汚れている人々を凡夫(=衆生)と言います。これらの作用で汚れてない人々を「汚れを離れた者」(=解脱者)と言うのです。


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