感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第16章 さまざまなこと 24偈

24 苦しみはつねに因縁からおこる。そのことわりを観(み)ないものだから、それによってひとは苦しみに縛られている。しかし、そのことを理解するならば、執著を捨て去る。けだし外の人々はその大きな激流を捨てないのである。

                   以上第16章 さまざまなこと

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント
これは第16章のまとめの偈であります。この通りでありますが、複雑で難しいことを一言で述べています。

苦しみの要因は一つではないのです。その為に複雑なのです。しかも、自分では気づけない無自覚な心の作用が絡んでいるので難しいのです。

この偈では、「そのことわりを観(み)ないものだから、それによってひとは苦しみに縛られている。」と述べていますが、功徳を積んだ人は、「そのことわりを観(み)る」縁ができて、そのことわりを理解するようになります。
苦しみは執着の因縁により起こります。執着は我執(我ありという思い)と愛執(我がものという思い)からできています。この我執、愛執も多くの因縁からできているのです。このことが理解されたとき、執着を捨てるのです。

しかし、多くの凡夫はこの執著を捨てないのです。これが「けだし外の人々はその大きな激流を捨てないのである。」ということです。


この記事へのコメント

Satya
2019年03月19日 10:19
24偈も「我執と愛執」の説明と相まって、(失念しないように)書きとめておきたくなる偈です。

3月8日の「快・不快の判断」もこの「我執と愛執」に関する理解がないことによるものなのでしょう。