感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第17章 水 9偈

9 もしも水がどこにでもあるのであるならば、どうして泉をつくる必要があろうか? 妄執の根を取り除いたならば、さらに何を求める要があろうか?

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)

(パーリ文「ウダーナ」7・9の偈 「もし水がいつでもあるなら 井戸は何の用をなそうか。渇欲を根本から断ち切った上は、何を求めて歩もうか、と。」)

(桜部建訳)(「原始仏典八 ブッダの詩II 」より引用しました。)


*法津如来のコメント
この偈の意味は、はじめは少しわかりにくいかもしれません。しかし、パーリ文「ウダーナ」7・9の偈を参考にするとわかります。泉の意味は、水を得る場所(=井戸)なのです。もし水がどこにでもあるのならば、もう井戸を掘る必要がないでしょうということです。

そのように、妄執(=渇欲)は苦しみの根源だから、それを根こそき取り除いたら、苦しみは無くなります。そうであるならば、さらに求めるものがないでしょうということです。


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