感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第16章 さまざまなこと 14偈

14 修行僧らよ。悪いことがらを捨てて、善いことがらを行なえ。家から出て、家の無い生活に入り、孤独(ひとりい)に専念せよ。すぐれた人は欲楽を捨てて、無一物となり、その境地を楽しめ。
 

(ダンマパダ87 賢者は、悪いことがらを捨てて、善いことがらを行なえ。家から出て、家の無い生活に入り、楽しみ難いことではあるが、孤独(ひとりい)のうちに、喜びを求めよ。)

(ダンマパダ88 賢者は欲楽をすてて、無一物となり、心の汚れを去って、おのれを浄めよ。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント
この偈はダンマパダ87偈と88偈とを一つに合わせた内容になっています。ちなみに、悪いことがらと訳されている言葉はパーリ語では黒いことがらであり、善いことがらと訳されている言葉は白いことがらです。インド人の感覚と日本人の感覚が似ていることが面白いですね。

ただし、世界の国々の子供達に好きな色を聞いて調べると、アフリカの子供達は黒と言うそうです。お母さんの色が黒だからだろうと言われています。このような感覚は潜在的に心に存在していますが、本質的に黒が悪いことがらで、白が善いことがらである訳ではありません。

しかし、心はこのような潜在的な感覚に支配されています。心は認識対象に対して、無意識に快・不快の判断をします。これが正しく対象を認識できない原因です。これが苦しみの原因になるのです。

この偈の解説から離れましたが、大切なことなので書きました。







この記事へのコメント

Stay
2019年03月08日 09:28
「心は認識対象に対して、無意識に快・不快の判断をします。これが正しく対象を認識できない原因です。これが苦しみの原因になるのです。」

シンプルかつ、すばらしい説明だ。
ノブ
2019年03月11日 00:43
煩雑な人生に馴れてくると、必然に遠離や厭離の心と言ったものが生じて来る。人生を整えたくなってくる。そうして、楽しみ難いこと、静けさや安らぎが楽しくなってくる。つまり人には、護りたい自分の心と言うものがあると言うことなのだろう。それ故に、煩雑な言葉や行いによって他の人の心を汚したり損なったりしてはならない。和合することに楽しみがあるのも、相手の心と自分の心を護る事に意義があるからだと。自分の心を全うする事は人生を全うする事にほぼ等しい。損なう事がなく、損なわれる事がない事は楽しい。人々は接触を楽しむが、ここなる人は遠離を楽しむ。遠離と和合がその楽しみの理由において同じ様であるのは、見た目には不思議に見えるかも知れない。世にこれらを示現する人は稀である。