感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第18章 花 21偈

21 (諸の存在の実体は)ウドゥンバラ樹の花(優曇華)をもとめても得られないようなものだとさとって、諸の生存のうちに堅固なものを見出さなかった修行者は、こちらの岸を捨て去る。___蛇が旧い皮を脱皮して捨て去るようなものである。) 
 
(スッタニパータ5 無花果(いちじく)の樹(き)の林の中に花を探し求めても得られないように、諸々(もろもろ)の生存状態のうちに堅固(けんご)なものを見出さない修行者は、この世とかの世をともに捨て去る。___蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント
「諸の生存のうち」を観察するためには、自己を観察することしかできません。ですから、自己を観察します。自己の中に、堅固なもの、変わらないものがありません。肉体はもちろん、心と言われるものも、昨日の心と今日の心は違います。堅固なものとは言えないのです。修行者は、諸々の存在のうちに堅固なものはないと知るのです。そこでこの世には執著すべきものはないと覚り、この世に対する執著をなくすのです。それが「こちらの岸を捨て去る。」ということです。

スッタニパータ5にも、この偈と同じようなものがありますが、細かいところは少し異なります。たとえが「ウドゥンバラ樹の花(優曇華)」と「無花果(いちじく)」の違いです。いちじくの花は本来ないものですが、優曇華は三千年に一度仏の出現するときなどに開くといわれる伝説の花ですので、三千に一度でも開く時があります。ないとは言えない例えが使われています。

また、スッタニパータ5では、「この世とかの世をともに捨て去る。」と述べられていますが、ウダーナヴァルガでは、「こちらの岸を捨て去る。」となっています。前者の意味は「輪廻から解脱する」という意味になりますが、後者では、解脱した修行者にとって、あの世はニルヴァーナと考えたのだと推測します。

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今日はまた、石法如来が昨日下記の正法を発表されましたので、お知らせします。

「自らの明知をひたらすら信じ歩みを進めよ。さすれば苦しみの止滅にみちびくことができる。」
です。



この記事へのコメント

ノブ
2019年04月13日 01:08
堅固なものとは何でしょうか。
また、堅固とはどういったことを言うのでしょうか。
法津如来
2019年04月13日 08:49
ノブさん、質問ありがとうございます。

堅固とは、変わらないものをイメージしていたのでしょう。しかし、そのようなものは無かったということです。