感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第18章 花 21B偈

21B 池に生える蓮華の茎や花をば、水にもぐって折り取るように、憎しみをすっかり断ち切ったった修行者は、こちらの岸を捨て去る。___蛇が旧い皮を脱皮して捨て去るようなものである。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント
今回の21B偈は、前回の21A偈の「情欲」という言葉が「憎しみ」に変わったのものです。つまり、テーマが「情欲」から「憎しみ」になりました。

憎しみも、情欲と同じように自覚している場合もありますが、無自覚である場合もあります。その場合は、その人はイライラしているという状態になります。その人は何故自分がイライラしているかわからないのです。イライラの原因がわかりませんから、それをなおすこともできません。その人は憎しみのために、晴れやかな明るい人生は送れません。不幸なことです。

しかし、憎しみをすっかり断ち切ったった修行者は、無自覚な憎しみにも気づき、憎しみを根こそぎ無くしたのです。憎しみは、持続した怒りですので、もちろん怒りも根こそぎなくしたのです。そのような修行者は、解脱して、こちらの岸、すなわち輪廻の世界を捨てて、ニルヴァーナに至るのです。

この記事へのコメント

siro
2019年04月14日 23:39
法津如来様
いつも拝見させていただいております。
ひとつ質問をお許しいただきます。
この偈の「修行者」とは「発心」した者をさすのであろうと考えております。
これは段階の説になるのかも知れませんが、発心して修行者として歩んでいる方には、かつて善知識の出現があったという明確な修行者としての自覚があるものなのでしょうか。
また、それがなければ、いかに修行しているつもりでも「修行者」にはなっていない言いうるのでしょうか。どうかお教えください。