感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第18章 花 5偈

5 自己の愛執を断ち切れ、___池の水から出て来た秋の蓮を手で断ち切るように。静けさに至る道を養え。めでたく行きし人(=仏)は安らぎを説きたもうた。

(ダンマパダ285 自己の愛執を断ち切れ、___池の水の上に出て来た秋の蓮を手で断ち切るように。静かなやすらぎに至る道を養え。めでたく行きし人(=仏)は安らぎを説きたもうた。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント
「自己の愛執を断ち切れ」とブッダは述べていますが、「愛執」とは何を意味しているのでしょうか?

感興のことば(ウダーナヴァルガ)では、すでに第3章で18の偈で説明しています。参考のためにその初めの偈を引用します。
https://76263383.at.webry.info/201807/article_16.html


「あれこれ考えて心が乱され、愛欲がはげしいのに、愛欲を清らかだと見なす人には、愛執がますます増大する。この人は実に束縛の絆(きずな)を堅固ならしめる。」

あれこれ考えて、心が乱れている人は、欲しいものを欲しい欲しいと思い、しかもその思いを正しいと思い、執著が増大します。そして、その執著がその人を束縛してしまうのです。これが苦しみになるのです。

ですから、「自己の愛執を断ち切れ」と述べておられます。これが解脱への道なのです。

このように、ブッダは解脱への道を説いているのです。



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