感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第21章 如来 9偈、10偈

9 正しいさとりを開き、つねに幸(さち)あり、瞑想に専念している思慮ある人々は、世間から離れた静けさを楽しむ。神々でさえも、かれを羨む。 

10 正しくさとりを開いた人々、誉れあり、速やかに知能がはたらき、最後の身体をたもっている人々を、神々も人間たちも羨むのである。

(ダンマパダ180 正しいさとりを開き、念いに耽り、瞑想に専中している心ある人々は世間から離れた静けさを楽しむ。神々でさえもかれを羨む。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

「正しいさとりを開き」とは、正法にしたがって覚りを開いたということです。

これについては、SRKWブッダのホームページ「覚りの境地」の正法の欄から次の言葉を引用します。

「真実の教え(正法)をしっかりと身につけること自体が、真実の教えである(勝鬘経)」

また、この正法の詳細について、次の理法を引用します
http://srkw-buddha.main.jp/rokuharamitu.htm

(以下引用)

【六波羅蜜】

勝鬘経(摂受正法章)は、六波羅蜜と正法の関係について次のように述べています。

{前を略}

さて世尊よ、〈真実の教えをしっかりと身につける〉と申しますが、ここで、真実の教えそのもの(つまり〈正法〉)と、それをしっかりと身につけることは、別々のことではございません。真実の教えをしっかりと身につけること自体が、真実の教えなのでございます。

ところで、この〈真実の教えをしっかり身につけること〉は、もろもろの完全・究極的な実践行(〈波羅蜜〉)と別ではございません。真実の教えを身につけることは、具体的にいえば、六つの完全・究極的な実践行を実践することに他なりません。

{後略}

[補足説明]

六波羅蜜とは、次の6つのことを指しています。

 布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧

なお、このうちの布施、忍辱、精進、持戒の4つを徳(徳目)と名づけ、これらは不完全ながらも世間において見ることができるものです。 一方、禅定、智慧の2つは、如来および善知識のみが持つ特質であり、この2つは出世間の立場においてのみ世に現出し、人々(衆生)に向けて示現されるものです。

(以上引用)





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