感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第21章 如来 13偈

13 それ故に、この世に置いて自己を達成しようと欲し、偉大な境地を望む人は、仏の教えを憶念して、正しい教えを尊重しなければならない。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

この偈を読んで、では「仏の教え」あるいは「正しい教え」とは何かと問われれば、次の理法を推薦を推薦します。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou266.htm


(以下引用)

【正法によって覚る】

衆生にとって人生は苦であり、短い。人生に時おり苦があるのではない。衆生にとって人生すべてが苦である。この世はすべて煩悩の火が燃えさかっているからである。しかし愚かな者は人生を喜び、苦に安住して、歓喜の人生が永遠に続くかの如くに思っている。あるいはまた、人生が苦であると気づいた者でも苦を離れることができず、ある者は苦によって苦を捨てようとさえする。苦を喜ぶ者は覚らない。苦を苦によって捨てようとする者も覚らない。その一方で、苦の真実を識った人は覚る。苦の真実を識った人は直ちに苦の解決を見るからである。これが覚りの真実である。どちらを選ぶのも各自のことがらである。聡明な人は覚りに至る道を選択せよ。

万巻の書を読破しても、善知識の一言を聞き逃すならば努力は空しい。如来に千万年仕えても、自ら覚ることがないならばそのつとめは悲しい。だからと言って覚れないのではない。文字を知らない人でも覚ることができる。如来がこの世にいない時代の人でも覚りに到達できる。こころある人は人生を空しくするな。

ところで、人は如来の言葉(理法)を学んで覚るのではない。人は正法によって、正法の通りのことが世に起こるのを眼のあたりにして、そして覚るのである。これは因縁によるものであって生き身の如来の存在とは無関係である。こころある人は如来の言葉を聞いて正法の何たるかを理解し、信じた正法によってまさしく覚りに到達せよ。

(以上引用)





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