感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第23章 自己 2偈

2 ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、自分ひとりを楽しめ。つねにひとりで林の中の中に住め。 

(ダンマパダ305 ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

昨日は二つの大切なことを書きました。一つは、修行者に仕え尊敬することでした。これは、他人から学ぶこということでした。もう一つは、「人々からかくれて独りで坐し、心を静めること」でした。

今回の偈は、この後者に関するものです。ひとりで修行しなさいということです。その際、注意すべきことは、なおざりにならないことと、楽しむことです。この二点も大切です。

一人で修行すれば、人の心は移ろいやすいので、頑張る時も怠ける時もあります。それでも自分を制して、修行に励む精進が必要なのです。しかし、いわゆる精進というだけでは修行は続きません。修行の中に楽しみを見出すことです。あるいは、楽しく修行する工夫をすることです。

また、一人で修行することの意味は、他人に依存しないことにあります。人はすぐに他人に依存しようとする傾向があります。仲間がいると、それに安心してしまうのです。しかし、仲間の中にいることに安住すると、覚り境地には到達できません。

SRKWブッダの理法に「孤独」があります。以下に引用しますから、参考にしてください。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou335.htm

(以下引用)
【孤独】
 修行者が孤独であるべき――孤独の境地に励むべき――であると言うのは、修行はすべて自分自身のことがらであり他者との関わりに よって修行が進むなどということがまったく無いというほどの意。したがって、修行者が孤独であるべきというのは世人が孤独であることとは意味合いが違う。 ところで、もちろん覚りの機縁は他者との縁によるものであるが、これは世間の人の関わりとは違うものとなる。すなわち、修行者は孤独であってはならず世間 の人々と一定の関わりを持つべきである。しかし、そのようでありながら修行者は孤独の境地に励むべきであると説かれるのである。

 また、ブッダの孤独と言うのは、ブッダが孤独であるという意味では無い。これは、「もし世界に自分一人だけしか存在していないとするならば、たとえ衆生であっても一切の苦悩は終滅する(苦悩がそもそも 生起しない)」ことと同義のことがらとしてのことである。この意味においてブッダは孤独であり、しかしそれゆえに一切の苦悩から解脱していると知られるのであ る。
(以上引用)


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