#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第24章 広く説く 25偈

25 たとい百年のあいだ毎月千回ずつ祭祀(まつり)を営む人がいても、その功徳は、慈しみの心(の功徳)の十六分の一にも及ばない。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

この偈は、7月18日に掲載した次の偈と趣旨は同じです。慈しみの心(の功徳)の大きさについて述べられているのです。
https://76263383.at.webry.info/201907/article_18.html

「20A (愚かな者が)たとい毎月(苦行者の風習にならって)クシャ草の端(はし)につけて(極く僅かの)食物を摂(と)るようなことをしても、慈しみの心(の功徳)の十六分の一にも及ばない。」

その時の「法津如来のコメント」では、SRKWブッダの理法「慈悲喜捨」を引用しましたが、「慈悲喜捨」は四無量心とも呼ばれます。その意味は、その心の大きさが無限に大きいからです。

その心が無限に大きいことをイメージしてください。もちろん、自分の体を枠を超えて広がっているのです。そして宇宙の果てを超えて広がっていくのです。これはどういうことでしょうか?



この記事へのコメント

ノブ
2019年07月24日 16:07
普段は自己の範疇に規定されているとしても、つまり自分勝手な人であっても、利他を行う時には無心が宿る。利他が無心で為される故にそれは無量心となる。個体の境界を離れて行われる心である故に、それは無量心となる。
それで、自分よりも弱い人を堪え忍ぶことこそ最上の忍堪であると言われる。