#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第26章 安らぎ(ニルヴァーナ) 4偈、5偈

4 こわれた鐘のように、汝がいつも自分を動揺させ(煩悩をおこす)ならば、汝は生れては死ぬ流転の迷いをながく受けるであろう。

5 しかし、こわれた鐘が音を出さないように、汝がいつも自分を動揺させ(煩悩をおこす)ことが無いならば、汝はすでに安らぎ(ニルヴァーナ)に達している。汝は怒り罵ることがない。

(ダンマパダ134 こわれた鐘のように、声をあららげないならば、汝は安らぎに達している。汝はもはや怒り罵ることがないからである。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

4偈の「こわれた鐘のように」に続く「汝がいつも自分を動揺させ(煩悩をおこす)ならば」の関係と、5偈の「こわれた鐘が音を出さないように」に続く「汝がいつも自分を動揺させ(煩悩をおこす)ことが無いならば」の関係が矛盾しているように思えますが、言いたいことは、比喩ではなく、いつも自分を動揺させ(煩悩をおこす)かどうかです。

訳者は、「自分を動揺させ」に対して、カッコで意味を(煩悩をおこす)と意味を補っています。その訳は、自分を動揺させると妄想が現れます。妄想が現れると欲や怒りや迷いが現れるのです。欲や怒りや迷いを煩悩というのです。これらが輪廻転生の原因ですから、「汝は生れては死ぬ流転の迷いをながく受けるであろう。」となるのです。一方、「汝がいつも自分を動揺させ(煩悩をおこす)ことが無いならば、」輪廻転生は繰り返さないということです。

ダンマパダ134は、「声をあららげないならば、汝は安らぎに達している。」と素朴に表現しています。いつも声をあららげないでいることは、いつも落ち着いて、静かでいなければできません。それができる人は、安らぎ(ニルヴァーナ)に達しているのです。





この記事へのコメント