#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第26章 安らぎ(ニルヴァーナ) 7偈

7 飢えは最大の病いであり、形成せられる存在(=わが身)は苦しみである。このことわりをあるがままに知ったならば、安らぎ(ニルヴァーナ)に専念するものとなるであろう。

(ダンマパダ203 飢えは最大の病いであり、形成せられる存在(=わが身)は最もひどい苦しみである。このことわりをあるがままに知ったならば、ニルヴァーナという最上の楽しみがある。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

ダンマパダ203の因縁物語も、「—こころの清流を求めて—パーリ語仏典ダンマパダ」より引用します。

(以下引用)
ある日、仏陀は神通力によってはるか遠くのアーラウィ町にいる一人の貧しい男を感知され、彼に預流果の悟りを得る潜在能力があることを洞察された。仏陀はこの男に会うため弟子たちを伴ってジェタヴァナ僧院を出発された。アーラウィ町の人々は仏陀の来訪をたいへん喜び、男も是非仏陀の説法を拝聴したいと思った。しかし、運の悪いことに、彼が世話をしている牛たちの中から一頭が行方不明になり、「すぐに牛を探すべきか? それとも今すぐ説法を聞きに行くべきか?」とどちらを優先すべきかと悩んだ末、まず牛を見つけ出し、次に仏陀の説法を聞くことを決めると、早速牛を探しに出発した。

当日、アーラウィの人々は、自分たちの作った御馳走を仏陀がおられる会場に持ち寄り、仏陀に施しをした。そして説法が始まるのを楽しみにしていた。しかし、仏陀はまだ説法をはじめられず、男の到着を静かに待たれたのである。

一方、男はようやく迷子の牛を見つけ出すや、激しい疲労と空腹に耐えながら仏陀のおられる会場に向かって駆け出した。ふらふらになって会場に現れた男を見て、仏陀はすぐに給仕の一人を呼び、「まだ食べ物が残っているか? あの男をすぐに席に着かせ食べ物を与えよ」と自ら直接指示されたのである。

この仏陀の意外な振る舞いに弟子たちは少々驚き、互いに顔を見合わせた。食事を終えた男は気持ちも落ち着いてきた。その様子を見て仏陀は説法をはじめられ、彼は預流果の悟りを得た。

やがて仏陀はアーラウィの人々に別れを告げて長い帰路につかれた。その道中、弟子たちが「あの時の尊者の行動は何だったのだ」「今だかつてあのようなことをされたことはなかった」と話し合っていた。仏陀は、「比丘たちよ、私が長い困難な旅をしてまでアーラウィ町にやって来たのには目的があった。それは、あの男に法を説くためであった。しかし、私の前に現れた男は、激しい疲労と空腹に苦しんでいた。そのような状態の中で法を説いても、彼は私の教えを理解することができないだろうと思い、先ず最初にあのように食事を与えたのである」と答えられ、「比丘たちよ、飢餓は最大の病気なり、五蘊は最大の苦しみなり、賢者は、これをあるがままに理解して、煩悩の炎が吹き消された涅槃という無上の幸福を得る」と説かれたのである。
(以上引用)

実を言うと、ダンマパダの偈の因縁物語は偈と直接関係のないと思もわれるものもありますが、後の注釈者が、他の経典から偈の意味の参考になるものを探して記されたのでしょう。

「飢えは最大の病い」という意味は、飢えは毎日食べ物という薬で治療しなければならない病だという意味であると言われています。



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