#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第26章 安らぎ(ニルヴァーナ) 9偈

9 ひとびとは因縁があって善い領域(=天)におもむくのである。ひとびとは因縁があって悪い領域(=地獄など)におもむくのである。ひとびとは因縁があって完き安らぎ(ニルヴァーナ)に入るのである。このように、このことは因縁にもとづいているのである。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

この偈は重要です。

SRKWブッダは、そのホームページ「覚りの境地」において、因縁について、多く語られておられますが、ここでは「感興句」の次の言葉を引用します。
http://srkw-buddha.main.jp/udana004.htm

(以下引用)

【因縁】

人が解脱して覚りの境地に至ることに限らず、この世の出来事はすべからく因縁にもとづいて起こるのである。そして、因縁は人為を以てどうこうできるものではないものなのであると言わねばならない。すなわち、因縁は人が為す行為の帰趨とは言えず、それゆえに経験や努力などによって因縁を醸成したり薫習したりすることは出来ないのである。

かと言って、因縁は世間で言うところの運命や宿命と並び称されるものにはあたらず、一部さえもそれらに属さず、つまるところそれらとは関係がない。

それゆえに、人が何を為そうとも、あるいは為さずとも、何か特定のことによって覚りの境地に至る因縁(=<一大事因縁>)を生じるとは断定的には言えないことである。しかしながら、ここなる人が聡明であって、人と世の真実を知ろうと熱望するならば、かれ(彼女)は覚りの境地に至る因縁を間違いなく生じるであろうと言うことができ、それは決して気休めではない。

こころある人は、世のさまざまな因縁を超えて覚りの因縁を生じ、自らの因縁によって円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと到達せよ。

(以上引用)

少し付け加えて述べるならば、次のことであります。

仏教は因果を説くものではありません。人は因縁があって解脱するものであることを説くものです。ですから、瞑想すれば解脱するとは説きません。戒律を守れば解脱するとも、経典を読めば解脱するとも説きません。

人は功徳を積み、気をつけて遍歴し、因縁により、善知識(善友)と遭遇し、法の句を聞き、解脱するのです。