#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第26章 安らぎ(ニルヴァーナ) 28偈

28 さとりの究極に達し、恐れること無く、疑いが無く、後悔のわずらいの無い人は、生存の矢を断ち切った人である。これがかれの最後の身体である。 

(ダンマパダ351 さとりの究極に達し、恐れること無く、無我で、わずらいの無い人は、生存の矢を断ち切った。これが最後の身体である。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

さとりの究極に達した人とは、意識的なこだわりも、無意識的はこだわりも、無くなった人です。

これらのこだわりの原因は無知であります。無知によって、こだわる必要のないものをこだわっているのです。

さとりの究極に達した人とは、法の句を聞くという縁によって、知の究極に達しています。そのために、無知がなくなります。無知がなくなることによって、こだわりがなくなるのです。

また、知の究極に達した人は、一切の恐れがなくなっているのです。一切の恐れがなくなったとは、別の言葉で言えば、死ぬことが怖くなくなったということです。いつ死んでもよいと思っているのです。

なぜならば、知の究極を知ってしまったからです。これは一切を知ったということではありません。知の究極を知ったということです。

論語に、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という言葉がありますが、これは究極の知を知ったならば、いつ死んでも満足であるという意味です。




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