#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 1偈

1 他人の過失は見やすいけれど、自己の過失は見がたい。ひとは他人の過失を籾殻のように吹き散らす。しかしこの人も自分の過失は、隠してしまう。___狡猾な賭博師が不利な骰(さい)の目をかくしてしまうように。 

(ダンマパダ252 他人の過失は見やすいけれど、自己の過失は見がたい。ひとは他人の過失を籾殻のように吹き散らす。しかし自分の過失は、隠してしまう。___狡猾な賭博師が不利な骰(さい)の目をかくしてしまうように。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

人は自分を基準にして他人を見ます。この時、基準である自分は見ないのです。そのために、自分のことは見がたいのです。

また、その基準はほとんど正しくないのですが、正しいとしていますから、自分の基準に合っていれは過失とは見ないのです。他人から見れば明らかに過失であっても、自分は過失とは思っていません。ですから、自分のことは見がたいのです。

さらに、自分でも過失であるとわかっていても、自分の過失は隠そうとする性癖があります。自己防衛の本能からくるものです。自分に過失があることは危険であると思っているのです。自分を正しく見ることが一番安全であることを知らないのです。

なかなか難しいことではありますが、自分も他人を、ありのままに見て、ありのままに知ることが一番大切なことです。