#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 6偈

6 この世は虚妄の束縛を受けていて、未来に変化する可能性のあるもののごとくに見られる。愚者らは煩悩に束縛されていて、暗黒に覆われている。(かれらには)無が有であるかのごとくに見られている。真理を見る人には何ものも存在しない。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

この事実は、一足とびには理解できません。

では、どこから始めればよいでしょうか?

自分が見るもの、感じるものが真実かどうか疑問にもつことから探求が始まります。

例えば、自分が食べたものが美味しいと感じても、他人はまずいという場合があります。このときは美味しいものがあるわけではありません。

では、食べ物があるのでしょうか?

例えば、人間はおむすびは食べ物だと思います。しかし、ライオンはどうでしょうか? ライオンにはおむすびは食べ物ではありません。

そこには、食べ物があるわけではないのです。人間が食べ物と思っているだけです。

この究極が、そこに物があると思っていても、そこに物があるわけではないのです。
(この説明も最近では量子論で説明できるようになっていますが、ここでは省略します。)

このように、理屈で説明することができても、納得することはできません。

では、それを納得する、腑に落ちるためには何が必要でしょうか?

それは、発心です。

発心については、SRKWブッダの理法「発心」を参照してください。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou026.htm