#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 7偈、8偈

7 人々は自我観念にたより、また他人という観念にとらわれている。このことわりを或る人々は知らない。実にかれらはそれを(身に刺さった)矢とは見なさない。

8 ところがこれを、人々が執著しこだわっている矢であるとあらかじめ見た人は、「われが為す」という観念に害されることもないし、「他人が為す」という観念に害されることもないであろう。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

この感興のことば(ウダーナヴァルガ)はサンスクリット語によるものですが、パーリ語仏典にも、ウダーナ(感興のことば)があります。その6章6に次の偈が附されています。参考のために、引用します。「原始仏典8ブッダの詩Ⅱ(講談社)桜部建・訳」より。

(以下引用)
この人々は、「われ」という観念にとらわれ「他」という観念にかかずらっている。ある人々はそれをよく知らず、それをおのれを傷つける矢と見ることがなかった。
注意深くそれを矢であると見る人には「私がする」という思いはない。彼には「他人がする」という思いはない。
(以上引用)

自分と他人を区別する思いは、自我といわれますが、それは心理学の教科書には、子供が大人になるために必要な意識として述べられています。

心理学は自我は正しく発達させるものとしていいますが、仏教では、本来それはないものであると見極め、自我観念が自分も他人も害するものであると説くのです。