#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 15偈、16偈

15 世の中は泡沫(うたかた)のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。 

16 身体は泡沫(うたかた)のごとしと見よ。身体はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。

(ダンマパダ170 世の中は泡沫(うたかた)のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。)


(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

ダンマパダ170について、2009年5月2日に解説しました。約10年前ですが、世の移り変わりもうかがえますので引用します。
https://76263383.at.webry.info/200905/article_2.html

(以下引用)

 「世の中を泡のように見よ」「世の中を蜃気楼のように見よ」、これは毎日のニュースを見ていれば嫌でもこのように思えるはずです。最近の二、三日は豚インフレエンザのニュースの繰り返しです。一度報告してくれれば充分です。そのくせ、マスコミ関係者があわてているのに、動揺せずに、落ち着いて下さいと言っています。確かに検疫関係者や何人かの医療関係者や患者にとっては重大問題でいろいろ忙しいでしょうが、その他の人々はそれぞれ必要なことを冷静に行えばいいことです。日本中が大騒ぎする必要はないのです。

 このニュースの前は草なぎ剛さんのことで大騒ぎでした。その前はもう覚えてません。いくらか覚えているのは、北朝鮮のミサイル問題です。まったく、世の中は泡のようです。蜃気楼のようです。ある問題が現れたかと思うと消えています。問題が表れたときは大騒ぎして、大変だと深刻になり、その責任をいろいろな人に押し付けて、二、三日すると忘れているのです。ですから、どんなことのにも深刻になる必要はないのです。何かに執着することはまったく馬鹿馬鹿しいことなのです。

 しかし、どんな悪政のもとでも、私たちは幸福に生きて生きていきたいですし、いくべきです。そのためには、世の中は泡のようなものですから、それらに思い悩まずに、各自が今必要な仕事をすべきなのです。自分ができる、人に役に立つ仕事をすべきです。困っている人がいれば、自分のできることで助けるべきです。そうすれば、不幸にはなりません。

 ここで、「世の中」をどれだけ広げて考えられるかが問題になります。テレビで放映されているニュースだけでなく、自分自身の事柄も世の中のことです。自分自身の事柄を泡のようだと、蜃気楼のようだと観察するのは少し難しいのです。ですが、自分の失業や自分自身の病気のことも、世の中のことですから、泡のようだし、蜃気楼のようなものなのです。このように観察できれば、どんなことにも執着がなくなります。智慧が現れます。落ち着いて、必要な対応ができるようになります。そのような人は解脱した人であり、涅槃に達した阿羅漢なのです。死王とは、煩悩のある人、輪廻の世界にいる生命の支配者です。ですから、解脱して、涅槃に達した人は管理できない、見ることができないのです。

(以上引用)

ダンマパダには、「身体は泡沫(うたかた)のごとしと見よ。・・・・・」の偈はないのですが、解説では、自分自身も泡のようだと、蜃気楼のようだと観察すべきだと書きました。

「死王もかれを見ることがない。」については、「死王とは、煩悩のある人、輪廻の世界にいる生命の支配者です。ですから、解脱して、涅槃に達した人は管理できない、見ることができないのです。」と解説しました。