#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 27偈
27 諸の欲望に執著し、つねに迷っている者どもは、束縛のうちに過ちを見ることが無い。束縛の執著にとらわれいる者どもは、広がった大きな流れを、決して渡ることがないであろう。
(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)
*法津如来のコメント
この感興のことば(ウダーナヴァルガ)はサンスクリット語によるものですが、パーリ語仏典にも、ウダーナ(感興のことば)があります。その7章3に次の偈が附されています。参考のために、引用します。「原始仏典8ブッダの詩Ⅱ(講談社)桜部建・訳」より。
(以下引用)
もろもろの愛欲に執著し、愛欲に愛著する人々は、人の心を五官の対象に結びつける煩悩に、過ちあるをみない。そいう煩悩に愛著している人々は、けっして広く大きな水流を渡るこtがないであろうから、と。
(以上引用)
「束縛のうちに過ちを見ることが無い。」とは、「人の心を五官の対象に結びつける煩悩に、過ちあるをみない。」ということがわかります。
過ちを過ちとみなければ、解脱することがないのです。
(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)
*法津如来のコメント
この感興のことば(ウダーナヴァルガ)はサンスクリット語によるものですが、パーリ語仏典にも、ウダーナ(感興のことば)があります。その7章3に次の偈が附されています。参考のために、引用します。「原始仏典8ブッダの詩Ⅱ(講談社)桜部建・訳」より。
(以下引用)
もろもろの愛欲に執著し、愛欲に愛著する人々は、人の心を五官の対象に結びつける煩悩に、過ちあるをみない。そいう煩悩に愛著している人々は、けっして広く大きな水流を渡るこtがないであろうから、と。
(以上引用)
「束縛のうちに過ちを見ることが無い。」とは、「人の心を五官の対象に結びつける煩悩に、過ちあるをみない。」ということがわかります。
過ちを過ちとみなければ、解脱することがないのです。
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