#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第28章 悪 19偈、20偈

19 まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遭(あ)うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遭うのである。 


20 まだ善い果報が熟しないあいだは、善人でもわざわいに遭(あ)うことがある。しかし善の果報が熟したときには、善人は幸福(さいわい)に遭う。

(ダンマパダ119 まだ悪の報(むく)いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遭(あ)うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遭う。) 

(ダンマパダ120 まだ善い報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遭(あ)うことがある。しかし善の果報が熟したときには、善人は幸福(さいわい)に遭う。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

世の中が、単純な因果法則に支配されているならば、人は悪いことをしないであろうし、善いことばかりをするでしょう。例えば、火の中に手を入れれば、熱いし、火傷をするのです。これはすぐわかりますから、人はそのようなことはしないのです。

しかし、世の中のことは、それほど単純ではなく、多くの原因があります。見える原因も、見えない原因もあります。直前の原因もありますが、過去の原因もあります。近い原因も、遠くの原因もあります。これらの原因がいろいろな織り成して、いろいろあ結果が現れます。また、その結果が原因になっていきます。世の中のことは、因縁によってなりたっていて、因縁によって生まれ、消えていくと言うのです。単純ではないということです。(このことがよくわかっている人には単純にみえますが。)

だが不思議なことに、結局は悪人はわざわいに遭い、善人は幸福(さいわい)に遭うのです。


この記事へのコメント

クリームコロッケ
2019年10月31日 06:19
「このことがよくわかっている人には単純にみえます」

その通りだと思いました。