#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第28章 悪 6偈

6 心が煩悩に汚されることなく、心が縛られることなく、善悪のはからいを捨てた人には、悪い領域(=地獄)に落ちるのではないかという恐れが無い。 

(ダンマパダ39 心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、目ざめている人には、何も恐れることが無い。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

この6偈とダンマパダ39を比較すると、前半は同じですが、後半は少し違いますが、ダンマパダ39については、2009年11月28日に解説しました。その記事の読者のコメントも面白いです。
https://76263383.at.webry.info/200911/article_28.html

「心が煩悩に汚されることなく、心が縛られることなく、善悪のはからいを捨てた人」とは、解脱した覚った人ですが、このような人は地獄に落ちるのではないかという恐れのみならず、何も恐れることが無いのです。

般若心経に、「菩提薩埵の、般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙(けいげ)なし。罣礙なきが故に、恐怖あることなし。」という言葉があります。この意味は菩薩は、心に煩悩がなく、心が縛られることが無いので、恐怖がないと述べられています。

「善悪のはからいを捨てた」については、通常は善は良い、悪は悪いと考えられていますが、物事を大きな見方、永い眼で観た場合、善悪が大したことでなかったり、悪と思っていたことが、あとで考えるとそれが良かったということがあります。世の中は本当はそういうものなのですが、それがなかなかわからないのです。