#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第29章 ひと組みずつ 5偈、6偈

5 (経験するものを)実質のある物だと思って、走り近づいて行くが、ただそのたびごとに新しい束縛を身に受けるだけである。暗黒のなかから出て来た蛾が(火の中に)落ちるようなものである。かれらは、見たり聞いたりしたことに心が執著しているのである。

6 思念して熱心に清らかな修行を行なっている人々は、ここで(自分が)いだき、あるいは別々の人がいだき、この世でいだかれ、またかの世についていだかれる一切の疑いをすべて捨ててしまう。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)

(ウダーナ6・9 人々は対象に馳せ寄るけれども、その真髄には至らない。次々と新たな束縛を増やすのみ。灯火に落ち込む蛾のごとく、見るもの、聞くものにとびつくという仕方で、ある人々は対象に執著する、と。)

(ウダーナ5・7 三昧に入り、熱心に清浄行を行ずる者は、この世であれ、かの世であれ、自ら感ずる疑いにせよ、他人の感ずる疑いにせよ、すべての疑いを捨てる、と。)

(「原始仏典八 ブッダの詩Ⅱ 」講談社発行より引用しました。)


*法津如来のコメント

今回は5偈、6偈のそれぞれに、ウダーナ第6章の9と第5章の7に同様の趣旨の偈がありますので、それを引用しました。理解の参考にしてください。

5偈は、人々は見るもの、聞くものに興味を示し、執著し、悩み苦しむことになると説かれています。もちろん、そのような人々は覚ることはないことはないのです。

6偈では、見るもの、聞くものによって、心を汚されることなく、心を清らかにする人は、真実を明らかにして、すべての疑い(疑問、迷い)が無くなることが説かれています。






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