#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第29章 ひと組みずつ 23偈

23 何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆(きずな)を断ち、(善悪をなすに)よしなく、欲求を捨て去った人___かれこそ実に最上の人である。

(ダンマパダ97 何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆(きずな)を断ち、(善悪をなすに)由なく、欲求を捨て去った人、___かれこそ実に最上の人である。) 

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

ダンマパダ97についての2009年3月13日に私が書いた解説は次の通りです。
https://76263383.at.webry.info/200903/article_13.html

(以下引用)

盲信せずに、無為を知り
輪廻のつなぎを断つ人は
法に従い、欲捨てた
彼こそ実に最上人

○この詩から学ぶこと

 この詩ができた因縁物語は次の通りです。釈尊は最終的な悟りに近い三十人の比丘たちに、あることを教えるために、サーリプッタ長老を呼んで、質問しました。「サーリプッタよ、人は私の教える瞑想によって涅槃に到達できることを信じるか?」 それに対してサーリプッタ長老は「尊者よ、私が涅槃に到達できたのは釈尊の言葉をそのまま信じたからではありません。」と答えました。それを聞いて、三十人の比丘たちは驚き、サーリプッタ長老を非難しました。釈尊は「比丘たちよ、誤解してはならない。サーリプッタ長老は瞑想によって涅槃に到達できると答えたのだ。ただし、私の言葉を盲信したからではなく、自分自身でよく学習し、実践によって理解して、盲信ではなく確信して涅槃に到達したのだ。」と説かれたということです。

 仏教では「信」を重要なことと考えています。これは「真理」対する「信」です。具体的には、仏(仏陀)、法(真理)、僧(聖者の僧団)、四聖諦、因果法則などに対する「信」ですが、盲信ではなく、理解に基づく確信なのです。これがないと、自信を持って修行ができないのです。

 無為とは有為の反対の言葉ですが、有為は現象の世界です。ですから、無為は現象世界を超えた涅槃を意味します。無為を知りとは、涅槃に到達して、涅槃の世界を体験したという意味です。
それは、つまり、生命を輪廻に結びつけている煩悩を断ち切ったということです。

 「法に従い」は、直訳すると、「機会を失う」ですが、私は「行いが法に適っていて、善とか悪とかを行うことではない」という意味だと理解しています。そのような人は当然、欲を捨てています。そのような人は阿羅漢ですから、最上の人なのです。

(以上引用)

だいたいこの通りですが、「作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り」とは、もっと具体的に書けば、善知識(善友)から法の句を聞いてとなります。


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