#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第29章 ひと組みずつ 25偈〜28偈

25 財を蓄えることなく、食物についてその本性を知り、その人々の解脱の境地は空にして無相であり、遠ざかり離れることであるならば、かれらの足跡はたどり難い。空飛ぶ鳥の迹(あと)のたどりがたいようなものである。

(ダンマパダ92 財を蓄えることなく、食物についてその本性を知り、その人々の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれらの行く路(=足跡)は知り難い。___空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。)

26 財を蓄えることなく、食物についてその本性を知り、その人々の解脱の境地は空にして無相であり、遠ざかり離れることであるならば、かれらの行く路はたどり難い。空飛ぶ鳥の迹(あと)のたどりがたいようなものである。
 
27 財を蓄えることなく、食物についてその本性を知り、その人々の解脱の境地は空にして無相であり、心の安定統一であるならば、かれらの足跡はたどり難い。空飛ぶ鳥の迹(あと)のたどりがたいようなものである。 

28 財を蓄えることなく、食物についてその本性を知り、その人々の解脱の境地は空にして無相であり、心の安定統一であるならば、かれらの行く路はたどり難い。空飛ぶ鳥の迹(あと)のたどりがたいようなものである。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

25偈と26偈の違いは、「足跡」と「行く路」です。その違いの意味は「過去」と「未来」です。

25偈、26偈と27偈、28偈の違いは、「遠ざかり離れること」と「心の安定統一」であります。それぞれの意味は、前者は執著をなくすこと、後者は心が落ち着き静かになることです。

これらの偈に共通する重要な言葉は、「財を蓄えることなく」と「食物についてその本性を知り」です。

財を蓄えるとは、必要以上の物を貯めることですが、これは貪欲と不安があるのです。解脱した人には貪欲はなく、不安がありませんから、財を蓄えることはないのです。

これらの偈で言う食物とは、口から入れる食べ物だけではないのです。エネルギーと考えてください。人間はエネルギーがなければ生きていけません。身体だけではなく、心にも同様です。身体が悪い食べ物を取れば、身体を害します。もちろん、良い食べ物を食べれば、健康になります、心の同様です。心に悪い食べ物(貪欲、怒り、愚かさ)などを取れば、心は害されます。心によいエネルギーをとるようにしてください。それは何か、簡単に言えば功徳を積むことです。



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