#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第29章 ひと組みずつ 33偈

33 人々は多いが、彼岸(かなたのきし)に達する人々は少ない。他の(多くの)人々はこなたの岸に沿ってさまよっているだけである。

(ダンマパダ85 人々は多いが、彼岸(かなたのきし)に達する人々は少ない。他の(多くの)人々はこなたの岸の上でさまよっている。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

SRKWブッダの過去のtwitter歴で、「彼岸に達する人々」に関する言葉を調べて見ました。
次のような言葉がありました。

(以下引用)

すでに慧解脱した覚者(=如来)にとって、覚りは特別な現象では無い。しかしながら、現実には覚る(=解脱する)人は極めて少ない。その本当の理由は不明である。
(2018.1.10)

長く修行したのであるから、仏になってはいないとしてもせめて阿羅漢、少なくとも心解脱者にはなっているだろうと思いたい。その気持ちは理解出来る。しかしながら、世を見るに預流に達している人さえ少ない。これが現実である。

これから真剣に仏道を歩むつもりの人が、生きている間に仏にはなれないにしてもせめて阿羅漢、少なくとも心解脱者にはなりたいと思うのは不当なことでは無い。しかしながら、現実には初期の心解脱に達する人さえ少ない。
(2018.1.11)

この世で実際にニルヴァーナに至る人は、少ない。その本当の理由は不明であるが、推定されることは修行者と称していてもニルヴァーナを真に求めている人は少ないということである。ゆえに、聖求が問われることになる。
(2018.3.11.)

この世で覚り(=解脱)に達する人は、少ない。覚るための修行法が説かれることは無く、予め分かっていることは人は解脱し得るということだけである。しかしながら、ある人々はついに覚る(=解脱する)。彼らは、解脱しようと思い、功徳を積んだからである。
(2018.12.11.)

仏道が広大で、平らか、どこからでも通じており、危険の無い道であるならば、もっと多くの人々が容易に歩み得て、沢山の解脱者(覚者)が出現しても良さそうである。ところが、実際には少ない。
(2019.7.11.)

(以上引用)

面白いことに、SRKWブッダが、このような言葉を呟く日は10日から11日だった。



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