#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第28章 悪 23偈、24偈

24 僅かでも悪をしたならば、つねに来世に苦しみを生じ、大きな禍を生じることになる。___毒が腹の中にあるようなものである。

25 僅かでも善いことをしたならば、来世に安楽をもたらし、つねに大きな福楽生じることになる。___穀物が積もり集まったようなものである。(やがてすばらしい果実を生ずるであろう。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

人間の行為は、潜在意識に記憶され、自分が忘れていまっていても、それがいつも支配しているということです。

僅かでも悪をした人は、意識できなくとも、それがいつまでも気になって、その人の思いや行為に影響をあたえますから、暗くなり、楽しみを削減します。それは大きな禍です。生まれ変わってもよいことがあるはずはありません。

逆に、僅かでも善いことをした人は、明るくなり、楽しくなります。それはその人の人生によい影響をあたえます。生まれ変わってもその影響は続きます。

人間は、良いことも、悪いこともしますから、その場合はどうなるのでしょうか考えてください。

僅かでも悪をした人は、暗くなり、楽しくないのですから、また悪をする傾向になります。そのため、悪を続けるのです。それが問題なのです。

僅かでも善いことをした人は、明るくなり、楽しくありますから、善をする傾向になりますから、問題ありません。

僅かでも悪をした人は、勇気をだして、懺悔してください。

懺悔については、SRKWブッダの理法「懺悔の根底にあるもの」を引用します。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou315.htm

(以下引用)
【懺悔の根底にあるもの】
懺悔(さんげ)の根底にあるものは、「自分は間違っているのではないか?」と言うことではない。懺悔の根底にあるのは、「自分は恥 ずかしいことをしているのではないか?」と言うことである。他ならぬ自らの行為について省察し、心に問うて、その真実を明からめたとき、解脱の機縁を生じ る。

ただし、修行者は懺悔によって解脱を果たすわけではない。解脱と同時に──おそらく解脱が一瞬早く生じその後──懺悔を生じ得るということである。
(以上引用)