#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第28章 悪 26偈〜29偈

26〜29 手むかうことなく罪咎(つみとが)の無い人々に害を加えるならば、次に挙げる十種の場合のうちのどれかに速かに陥るあろう、___(1)親族の滅亡(ほろび)、(2)財産の損失、(3)国王からの侵略、(4)恐ろしい告げ口、(5)激しい痛み、(6)身体の傷害、(7)重い病い、(8)乱心、また(9)その人の家を火がすっかり焼いてしまう、(10)第十として、聡明な智力がなくなって(老いぼれて)、身がやぶれたのちに、悪いところ(=)地獄に生まれる。

(ダンマパダ137〜140 手むかうことなく罪咎(つみとが)の無い人々に害を加えるならば、次に挙げる十種の場合のうちのどれかに速かに出会うであろう、___(1)激しい痛み、(2)老衰、(3)身体の傷害、(4)重い病い、(5)乱心、(6)国王からの災い、(7)恐ろしい告げ口、(8)親族の滅亡と、(9)財産の損失と、(10)その人の家を火が焼く。この愚かな者は、身やぶれてのちに、地獄に生まれる。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント
感興のことば26偈〜29偈とダンマパダ137〜140の罰の順番は少しことなりますが、内容はほぼ同じです。ダンマパダ137〜140については、10年前の2009年4月6日にその解説を書きました。それを引用します。参考にしてください。
https://76263383.at.webry.info/200904/article_6.html

(以下引用)
 脅しで信仰を強要する宗教がかなりあります。例えば、異教徒の神を信じると地獄に落ちるとか、ある種の食べ物を食べると神の怒りに触れるとかいろいろあります。

 仏教には脅しはありません。もっとも仏教と名乗っている宗教団体はたくさんありますので、その中には、脅しで信仰を強要する団体もあるかもしれません。しかし、釈尊はそのようなことは、一切していませんし、そのようなことは一切言ってはいません。ですから仏教と名乗っていてもそれは、釈尊の教えと無関係の団体です。

 釈尊は真理を述べているのです。その真理は私たちが幸せになる教えなのです。そして、それをよく理解して、実践するように述べられています。決して理解せずに、信じろとは言いません。今回の詩の内容についてもその通りなのです。私たちは直ぐには理解できない所もありますが、よく考えれば分かることなのです。

 私が分かる範囲で説明しましょう。「暴力で、無抵抗な罪なき人々を損なうならば」とうなるでしょうか。私たちの心には良心と言われるものがあります。分析すると、慈悲喜捨の心です。すなわち、人々が幸せになってもらいたいという心、困っている人を見ると助けたいと思う心、人の喜びに共感する心、物事を分け隔てなく平等に見る心です。これらの心は人間にはあるのです。もちろん、その心は育てられてなければ小さく、弱いものですが、あるのです。しかも、欲や怒りや無知の心もありますので、その機能は抑えられている場合が多いのです。しかし、良心と言われる慈悲喜捨の心はあります。

 「暴力で、無抵抗な罪なき人々を損なうならば」、その良心は、自分を責めることになります。自分の良心に責められた自分の心は、自分の身体を攻撃します。それは、身体の痛みや、傷害、病気など、いずれかの現象をもたらすのです。自分の良心に責められた自分は何事にも自信を持って行動できません。いつも何かやましい心で行動するのです。心は暗くなります。そうすると仕事に失敗するようになり、友達や家族や親族ともうまくいきません。それらの人々の間で喧嘩になるかもしれません。喧嘩に多い、暗い家族の財産は増えることはありません。面白くないので、大酒を飲んだり、馬鹿な無駄使いをしたりするからです。もう詳しく書くことはないでしょう。

 釈尊は、暴力で、無抵抗な罪なき人々を損なうという不正を働く人々の行為の結果を分かりやすいように十にまとめて示してくれているのです。不正を働くと私たちの良心が痛むのです。そうならないように、不正を働かないように注意してください。
(以上引用)