#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第29章 ひと組みずつ 51偈

51 妄想して考え出された現象界もなく、個人存在の連続もなく、障害もなくなって、はたらきのなくなった人、___愛執を離れて行じている聖者を、神々も世人も、それだと識(し)ることがない。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)

(ウダーナ7・7 その人に妄想のとどまることはなく、彼は障碍(しようがい)をも超えている。渇欲なく行動するかの聖者を、天界をも含めたこの世界の誰も軽んじ、そしることがない、と。)

(桜部建訳「原始仏典 第八巻 ブッダの詩II」講談社より引用しました。)

*法津如来のコメント

ウダーナ7・7の偈は、世尊がみずからの妄想の念慮の断滅を知って、唱えられたものであると記されています。

「愛執を離れて行じている聖者を、神々も世人も、それだと識(し)ることがない。」とは、その通りですが、それでも世人のなかには、それだとほのかに識る人が現れます。

話は変わります。昨日はこのブログに時々コメントしてくれるノブさんに会いました。彼は東京の人ではありませんが、西荻窪に行ってみたい喫茶店があるということで、そこへ連れっていってくれました。

お互いに初対面でしたから、自己紹介をしながら、仏教以外の話もいろいろ楽しく話しました。私が印象に残った彼の言葉としては、彼は25歳くらいの時に、SRKWブッダをネットで知ったそうですが、SRKWブッダが「やさしさ」ということを強調していたことに興味を持ったということです。

また、彼のホームページで「覚りの境地」(http://srkw-buddha.main.jp)にある理法「恕(じょ)すこと」(http://srkw-buddha.main.jp/rihou113.htm)を知って、彼は本物だろうと思ったと言うことでした。

ノブさんは、その中の次の言葉を覚えていました。

「人は自分よりもすぐれていると思う相手の言葉を恕(じょ)すのであり、また人は、相手と争うことを厭ってその相手の言葉を恕(じょ)すのである。
しかしながら、もし人が、自分よりも(明らかに)劣っていると思われる相手の言葉を恕(じょ)すならば、それは『最上の忍耐』と呼ばれる。」



この記事へのコメント