#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第30章 楽しみ 21偈

21 世の中で母を敬うことは楽しい。また父を敬うことは楽しい。世に修行者を敬うことは楽しい。世の中でバラモンを敬うことは楽しい。 

(ダンマパダ332 世に母を敬うことは楽しい。また父を敬うことは楽しい。世の中で修行者を敬うことは楽しい。世にバラモンを敬うことは楽しい。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

「世の中で母を敬うことは楽しい。また父を敬うことは楽しい。」これについて考えましょう。
これに参考に参考になるブログ記事を探しました。

2008年10月7日の「ダナパーラという名の白象は食べ物取らず母思う」という記事です。
https://76263383.at.webry.info/200810/article_7.html

(以下引用)

ダンマパダ 324

ダナパーラという名の象は
激しい破壊力があり制し難い
捕まった象は食べ物を食べずに
象が住む森を心配する

○この詩から学ぶ

 この詩はダナパーラという名の象のことを知らなければ意味が分かりません。ダナパーラという象についてはジャータカ物語455 養母象本生物語 (南伝大蔵経 第33巻 337~345ページ)に書かれています。

 ダナパーラは大変美しい勇ましい白象でした。この白象は山中の洞窟で盲目の母象の世話をしていました。しかし、自分が助けた悪い人間のために、王の乗り物として捕獲されたのです。ダナパーラがあばれれば、捕獲されずにすみましたが、そうすれば多くの人間を傷つけることになるので、またそれは悪業を作ることになるので、おとなしく捕獲されました。王はこの白象を大変気に入り、毎日ご馳走を白象に与えました。しかし、この白象はそれを食べようととはしませんでした。不審に思った王は白象にその理由を聞きました。白象は「盲目の母象が私を待っています。私は母が心配で食べられないのです。」と答えました。慈悲深い王はこの白象を放し、象の森に帰しました。ちなみに、その時の王はアーナンダ尊者であり、母象は王妃マハーマーヤーであり、白象は釈尊、それぞれの過去生であったということです。

 この物語は親孝行を教える話なのです。しかし、この詩の多くの日本語訳で「発情期には狂暴になって」などの訳がありますが、理由が分かりません。パーリ語の辞書にもその訳はありません。もっとも英語の本にも「発情期」という言葉を使っていますので、私の知らない何かの意味があるのかもしれませんが、話の本筋からは外れ、この詩の意味を混乱させるのではないかと思います。

 孝行は儒教でも重要な徳目でありますが、仏教でも重要な善行為です。ここでは仏教の父母に対する考え方を説明しましょう。
 1.父母は梵天あると思うべきこと。梵天とは慈悲喜捨の心を持った最高の神です。梵天と同じように、父母は子に対して、どんな時でも慈しみの心でいてくれます。困った時は自分をかえりみず助けてくれます。成功した時は自分のことのように喜んでくれます。いつでも冷静に助言をしてくれます。父母以外はそのような人はいません。
 2.父母は教師であると思うべきこと。父母は私たちが生まれてから、何も知らないときから、生きる術をすべて教えてくれました。父母は私たちの教師なのです。
 3.父母は、阿羅漢と同じように尊敬すべきであると思うべきこと。上の1、と2、を考えると私たちにとって阿羅漢と同じような人なのです。尊敬すべき人なのです。(南伝大蔵経17巻 214ページ)

 「両親に対して子供が為すべきこと」について具体的なことはこのブログの9月12日ダンマパダ292、293の「この詩から学ぶこと」に書きました。
  http://76263383.at.webry.info/200809/article_12.html

 また、大乗仏教のお坊様ですが、テーラワーダ仏教を実践されている木下全雄師のブログでも「仏教徒は両親に敬意を」で孝行について分かりやすく書かれていますので、参考にされるとよいと思います。(かってにここに引用しますが、よろしくお願いします。)
  http://blog.livedoor.jp/happyzenyu/archives/601277.html

(以上引用)

木下全雄師のブログ記事の引用もあり懐かしいです。