#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第30章 楽しみ 50偈

50 われらは何物をもっていない。いとも楽しく生きて行こう。身体を自分と見なす(見解に)とらわれることなく、喜びを食(は)む者となろう。 

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) 


*法津如来のコメント

「われらは何物をもっていない。いとも楽しく生きて行こう。」は、44偈と49偈と同じです。

「喜びを食(は)む者となろう。」は昨日説明しました。

さて、「身体を自分と見なす(見解に)とらわれることなく、」です。

自分とは何者であろうか? と考えるときがあります。

仏教では、自分とは色、受、想、行、識で構成されていると教えます。すなわち、身体と感覚と表象と形成作用と認識です。しかもそれらは実体がなく変化するものとも教えています。ですから、これだと執着したくとも、執着できないのだろ教えるのです。

実際にはなかなかそのようには思えません。しかし、自分や他人を観察し、考察するとそれがわかってきます。はじめは身体が自分の実体だと思っていますが、身体は自分の一部であることがわかります。さらに、身体が自分の実体ではないと思うようになります。・・・

このような考え方の道筋は人により異なりますので、その人なりにいろいろ考えるでしょう。

身体を自分と見なす(見解に)とらわれることがなくなれば、身体について、太っているとか、痩せているとか、背が低いとか、高いとか、不美人だとかいわれても気にしなくなるでしょう。

多くの人々にとって、自分の身体は最大の関心事ですから、それ以外のことは大したことはないのです。最大の関心事が気にならなくなれば、すべてのことは気にすることはないのです。気にすることがなければ、楽しく生きていけるのです。