#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第31章 心 18偈〜22偈

18 屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、憎しみの侵入することが無い。

19 屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、迷妄の侵入することが無い。

20 屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、高慢の侵入することが無い。

21 屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、貪ぼりの侵入することが無い。

22 屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、愛執の侵入することが無い。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) 


*法津如来のコメント

今回の第31章18偈から22章の偈は、すでに解説した第31章12偈から16偈とそれぞれ対になっているものです。

昨日の11偈と合わせてみると、「心を修養していないならば、情欲、憎しみ、迷妄、高慢、貪り、愛執が心に侵入する。」に対して、「心をよく修養してあるならば、情欲、憎しみ、迷妄、高慢、貪り、愛執の侵入することが無い。」となります。

情欲、憎しみ、迷妄、高慢、貪り、愛執をまとめて考えると、大変だと思うでしょうが、心にこれらがすべて、一緒に現れるわけではありません。時々、それらが一つ一つ現れるのです。それらのどれかが現れた時、それらに対する考え方を変えるのです。

まずは、それらが現れたことに、気づくことが大切です。いろいろな気づき方があるでしょうが、わたしの場合はつぎのように考えました。

情欲・・・・それはそれほど必要なもの?
憎しみ・・・それは相手のせいなの?
迷妄・・・・どうしようかなと迷っている?
高慢・・・・自分は嫌な奴じゃない?
貪り・・・・満足してないの?
愛執・・・・それは自分のものと言える?


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