#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第31章 心 23偈、24偈

23 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心のように疾く動く。もしも汚れた心で話したり行動したりするならば、苦しみはその人につき従う。___車をひく牛の足跡に車輪がついて行くようなものである。 

24 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心のように疾く動く。もしも清らかな心で話したり行行動したりするならば、福楽はその人につき従う。影がそのからだにつき従って離れないようなものである。)

(ダンマパダ1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。___車をひく(牛)の足跡に車輪がついてゆくように。)

(ダンマパダ2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。___影がそのからだから離れないように。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) 


*法津如来のコメント

23偈と24偈は、非常に大切なことが説かれています。

一つは、「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心のように疾く動く。」ことです。ダンマパダでは「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。」と説かれています。

もう一つは、それゆえに、人の苦しみあるいは福楽は、その人の心が汚れているか清らかであるかによるということです。すなわち心が汚れていれば苦しみ、心が清らかならば福徳を得るということです。

この章の8A 偈の解説の最後に、心は電子のようなものであると付け加えました。
https://76263383.at.webry.info/202002/article_9.html

とはいえ、汚れた電子や清らかな電子があるのか考えてください。陰電子、陽電子というものがあるそうですが。



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