#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第31章 心 33偈

33 心を揺れさせるために現われ出たこれらの粗大な思考および微細な思考を絶えまなく思いつつ、心の乱れた人はつねに走る。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) 


*法津如来のコメント

「心の乱れた人はつねに走る。」とは、心の乱れた人はつねにあちらこちら走り回って、ゆとりのない疲れるだけの人生を送っているいるということです。

これは嫌ですね。ゆとりのある、疲れない、安楽な人生を送りたいものです。

心の乱れた人は、心が揺れ動いているのです。

この偈は心を揺れ動かすものは「粗大な思考および微細な思考」と説かれています。

中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫のこの偈の注には次のように書かれています。
「微細な思考___vitarkaに粗大なものと微細なものとを認めている。後代のアビダルマ教学ではvitarka(尋)は粗大な思考、vica’ra(伺)は微細な思考ということが定められるが、ここにはまだそこまで達しない段階の思想が述べられていると考えられる。」

vitarka(尋)は粗大な思考、vica’ra(伺)は微細な思考について、太鼓の音や鳥の飛び方に例えられます。

太鼓をばちで叩いた時の音が「尋」です。その後も太鼓のおとはします。その音が「伺」です。
また、鳥は羽を羽ばたいて飛びますが、羽ばたく時の飛びが「尋」で、羽を動かさなくとも飛んでいます。後者の飛びが「伺」です。

しかし、このように考えなくともよく、左脳的思考(論理的思考)と右脳的思考(イメージ的思考)と考えても良いでしょう。

いずれにせよ、絶えずあれこれ考えていることが、心を揺れさ、乱れさせるのです。

多くの人々は、このことに気づいていません。まず、そのことに気づいてください。




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